■N検導入の経緯について
明治大学の大六野でございます。まず、明治大学のN検の取り組みについてお話しておきたいと思います。本学で最初にN検を導入したのは政治経済学部でした。将来マスコミ関係に進みたい人を育てる「ジャーナリスト育成プログラム」があるのですが、学生にインセンティブを与える意味で、2007年の検定開始に合わせて導入しました。
2級あるいは1級に合格した上で、マスコミ研究室の授業を受けること。さらに最近は、GPA(Grade Point Average)と申しますが、学部の成績が4点満点の平均点で2・8点以上をとった学生には、卒業証書のほかに「ジャーナリスト育成プログラム修了証」という証明書を出しています。
今年はその第1号の学生が出まして、見事マスコミの世界に入ることになりました。おかげさまで、導入しましてから、政経学部だけで約15人ほどだった毎日、朝日、読売、NHKなどの内定者が、30名とこの2年間で倍増しています。
その結果、現在では文学部、情報コミュニケーション学部、国際日本学部においても正式に導入されることになりました。
■知識から認識、そして実行力へ
小学校から大学に至るまで、入学試験に責任の一端があるのですが、「試験に合格するための知識」が偏重されてきたことは今更いうまでもありません。こうした「知識」も必要に違いがありませんが、残念ながら、「知識」を獲得する過程で「考え」(think)、「疑問を持つ」(doubt)、自分なりに「解決を図る」(solve)という作業がすっぽり抜け落ちているのです。
実は、この「考え」、「疑問を持つ」、「解決を図る」能力こそが、大学でそして大学を卒業した後の社会で最も求められている能力なのです。①社会の中でどんな問題が生じているのか、②そのような問題が、なぜ生じ、③どうすれば解決できるのか、という一連の作業プロセスが本当の「知識」の在り方なのではないかと思います。
■教科書的「知識」から活きた「知識」へ
たとえば、中高での社会科教育を日米で比較した場合、最大の相違点は「リサーチ」が重視されるか否かにあります。日本では、ともかく教科書が提供する「知識」をどれだけ早く正確に吸収することができるか、どれだけ長く覚えていられるかに重点が置かれがちです。
これに対して、米国では教科書は社会の様々な問題を提起し、これを理解するための言葉(concept)を提供し、後は学生たちに「リサーチ」することを求めています。
たとえば、議会制度(parliamentary system)について検討する単元があったとします。日本であれば、①間接民主制の手段である議会がどのように発展してきたか、②国民主権との関係、③議院内閣制と大統領制の違い、④日本国憲法の中での国会の機能と二院制の意義等が論じられるでしょう。しかし、はたして世界の国々の議会はすべて二院制なのか? 実は、世界的に見れば一院制の国がマジョリティー(185か国中106カ国が一院制)であることが、列国議会同盟(Inter-Parliamentary Union)のホームページを見ればすぐにわかります。また、二院制といっても、日本の二院制と英国の二院制では、各議院の果たす役割や審議のプロセスは大きく異なっており(英国には最高裁がこれまで存在せず、今年の9月までは貴族院が最高裁の役割を果たしている)、二院制という言葉では一括りにできない要素を持っているのです。
おそらくアメリカの中高であれば、「世界にはどのような議会制度が存在するか?それらと、アメリカ議会とはその機能や審議プロセスにおいてどのような違いがあるかを調べてみよう」というのが「リサーチの課題」となるわけです。こうした「リサーチ」を行う過程で、「議会とは何か?」「議会の機能は?」「アメリカ議会の特徴は?」といった疑問に対する答えが、具体的に認識されるのです。
■活きた「知識」獲得の手がかりとなる新聞記事
下に挙げる毎日新聞の記事を見てみましょう。
通常国会:85法案が成立
今年の通常国会で、政府提出法案66本と議員立法19本の計85本が成立した。新規の政府提出法案は、69本中62本が成立した。成立した政府提出の主な法律は、基礎年金の国庫負担割合(3分の1強)を4月にさかのぼって2分の1とした改正国民年金法や、アフリカ・ソマリア沖で自衛隊が海賊対策に乗り出せるようにする海賊対処法など。議員立法では、小児の臓器移植に道を開く改正臓器移植法など。 毎日新聞 2009年7月28日 東京朝刊
この記事から、教育の現場では2つのことができます。1つは、「政府提出法案」(内閣法)と「議員立法」と2つの種類の法案が出てきますが、この2つはどこが違うのか? なぜ、成立した政府提出法案は66本にも及び、しかも提出した法案のほとんどが成立しているのに、議員立法で成立したものは19本となぜ数が少ないのか?こういった疑問をすぐに引き出すことができます。
ここまでくれば、生徒たちに衆議院・参議院のホームページやWebで検索してごらんと指示するだけで、生徒たちは次々に新たな事実を発見し、また新たな疑問を持ち、さらにリサーチを続けるというポジティブな連鎖が生じるのではないでしょうか? また、そうしているうちに、次のような疑問に遭遇するかもしれません。
よく新聞で、日本の政治は「官僚主導の政治」で、民主政治を推進するためには国民によって選ばれた国会議員を中心とした「政治家主導の政治」にすることが必要だ。また、「政治家主導の政治」を実現するためには、アメリカのように「議員立法」を増加させなければならない。そのためには、それぞれの議員に政策スタッフ(日本でいう政策秘書)を大幅に増加させる必要がある。こうした分析や主張が行われることが少なくない、という記事が載っています。
こうした記事に出合った生徒は、民主政治においては、官僚が実際の担い手である政府提出法案よりは、政治家による議員立法が本筋だという感覚を持つかもしれません。日本でそうならない原因には、政党や議員の政策立案機能が弱いことが関係しています。
それでは、アメリカの議会の実態を見てみようということにもなるでしょう。 →http://thomas.loc.gov/home/lawsmade.toc.html (Thomas by The Library of Congress)
その結果、何がわかったか
① アメリカ議会では議員にしか法案提出権がないこと。
② 大統領、閣僚、省庁は、executive communications(教書や書簡)という形で、法案の依頼を行うほかはない。
③ アメリカ議会には毎年4000本から5000本の法案が提出されるが、成立するのは200本から250本にすぎない。残りの法案は、審議もされないまま廃案になる場合が多い。
④ こうした議員の法案作成を助けるために、下院議員一人当たり18名(非常勤をさらに4名)まで、上院議員の場合は30~50の議員スタッフが存在する。上下両院の議員スタッフの総数は11,000人以上に上っている。その費用は公費で賄われている。
このリサーチの結果、アメリカと日本では同じ議会制度でも、その基本的な性格が異なること。アメリカでは、議員のみが法案を提出できることから、議員に対して多くの議員スタッフがつけられていること。しかし、こうして提出された法案の90%近くは、審議されることもなく廃案なることが多いことが、わかってきます。
■現実の理解に即した、幅広い視野の形成
以上のように、新聞記事で取り上げられる時事問題を手がかりに、リサーチを行うことによって、型にはまった教科書的知識ではない知識の獲得と、その知識を獲得するためのノウハウが自然に身についてくるのです。われわれの仕事は、生徒や学生のリサーチの方法に対するアドバイス、リサーチ結果に対する適切な評価といったものになるのではないでしょうか。
現実の中高の教育現場、しかも限られた時間の中で、こうした方策をとることには様々な障害があるかもしれません。しかし、「知識とは自ら獲得するもので、与えられるものではありえない」。この大原則を理解し実践するか否かが、将来における個人の理解・分析能力の大きな差につながっていくと思います。
先日、米国の私立大学での集中授業から帰国したばかりです。昔から、日本の大学生の知識量はアメリカの同学年の大学生に比べると極めて多いと思います。これは間違いのない事実で、ある意味で、日本の教育が成功した部分でもあるでしょう。しかし、疑問を発する能力、疑問に基づいてリサーチする能力は、とてもアメリカ人学生には追い付かないのが実態です。このことを目の当たりにすると、やはり、教科書の正解を追うことではなく、社会の中で日々生じている問題から、自らの生活との関わりの中で問題提起できる能力を育てることが何としても必要だと感じます。
この意味での、「時事力」は、何としても修得させたい能力の一つです。「ニュース検定公式テキスト」や実際の検定は、こうした「時事力」を高める一つの有効な手段と言えるでしょう。